【学生記者コラム】「わからない」ことが「普通」 LGBTテーマのトークで学ぶ (田中謙太朗) 2020年12月3日、パナソニックセンター東京にてプライドハウス東京との共同イベントである「...

47文P編集部
「八方不美人」のエスムラルダさん(右)の隣で話しをする田中謙太朗さん(オンライン画面より)「八方不美人」のエスムラルダさん(右)の隣で話しをする田中謙太朗さん(オンライン画面より)

2020年12月3日、パナソニックセンター東京にてプライドハウス東京との共同イベントである「ソウゾウするちから 普通ってなんだろう」と題して、新宿二丁目発DIVAユニット「八方不美人」と学生によるトークイベントが行われた。イベント内では彼らの半生の要所要所にフォーカスを入れつつ学生からの疑問質問に答えていくという対話型形式で、ドラァグクイーンとして活動する視点から見た現代の「普通」が語られた。舞台上で披露されたパフォーマンスも目が離せないものとなった。

 ▽新宿二丁目発DIVAユニット「八方不美人」
 ユニット「八方不美人」はエスムラルダさん、ドリアン・ロロブリジーダさん、ちあきホイみさんの三人によって構成されており、力強い歌唱力とどんな話題にも切り返すトーク力によって注目されるDIVA(=米スラングで歌姫)ユニットである。全く異なった個性を持つ3人によるユニットであり、年長者らしく落ち着いた受け答えのエスムラルダさん、1を聞いたら10を返すドリアンさん、論理立てたコメントが印象的なちあきさんと三者三様である。 パフォーマンス形態はドラァグクイーン(Drag Queen)と呼ばれ、最も古い出典でも1940年代初頭と近代芸術に近いものであり、日本においては80年代のタレントの日出郎によって認知が広まったといわれている。

 ▽「八方不美人」に聞く、「多様性のある社会」
SDGsなどの達成目標の鮮明化を国際社会で進めたことによって「社会は多様性を認めるべきだ」ということが数年前からある種の正義のように扱われ始めた。多様性の富んだ社会に対する期待として、ちあきホイみさんは次のように述べている。
「どれだけ社会が多様になったとしても、悩む人は悩む。そんな人たちを肯定できるように、メッセージを届けられるように、そういうことができたら歌手冥利に尽きますね。」

悩みの内容が、仮想の「誰か」ではなく本当に自分に向かうことのできる社会こそが多様性のある社会であるとしてちあきさんにはコメントを頂いた。その他にもドリアンさんは「認め合う、よりも放っときあう社会」、エスムラルダさんは「誰の権利も侵害しない自分の好きを奪われない社会」を多様性のある社会の具体像として語ってもらった。

 ▽では改めて、「普通ってなんだろう」
 改めて考えてみると、「普通」という言葉は非常に強い言葉だ。ときには謙遜として、ときには攻撃として、我々の生活には「普通」という言葉と声にせずともその意識が介在している。我々はまだ、わかりやすい「普通」にも目を背けなければならない段階すらも抜け出せず、それは教育が変わればいいの か、経済が変わればいいのか、それすらも未だによくわかってはいないのだ。いうなれば個々人の中に制御不能な怪物を飼っているようなものである。
「普通」とは扱いが難しい。しかし、言葉狩りのように、封印してしまうには勿体無いほどに使い勝手がいいという非常に人々を困らせる言葉なのであ る。そこで、あえて答えを出すならば「わからない」ということだ。つまり、
「わからない」こと、それこそが「普通」なのである。

 ▽「八方不美人」が教えてくれること
 これからの社会は、例えば「私は普通か否か」というような「YES-NO 質問」のみで括れる問題のみではなくなる。これは最早誰もが気づいていることだと思うが、決して「難しい問題が...」と悲観的になる必要はない。それだけ我々の知恵や生活が高度化、同時に副産物である問題が高度化しているというだけのことなのである。八方不美人のように、背筋を伸ばして胸を張 り、不敵な笑みを浮かべながら悩ましい現実に正面から向かっていく素ぶりこそ我々が学ぶべき姿勢であると強く感じている。 (大学2年、東京都)tanakakentaro.jpg