【くにぼめ日本遺産】(2) 倉敷の繊維文化 岡山県倉敷市は江戸時代、物資の集積地として栄え、干拓地では塩に強い綿花などが栽培された。明治以降に...
共同通信児島の街にはジーンズのディスプレーがあちらこちらに=岡山県倉敷市
岡山県倉敷市は江戸時代、物資の集積地として栄え、干拓地では塩に強い綿花などが栽培された。明治以降に西欧の技術を採り入れ繊維産業が発展したこの街は、日本遺産「一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~」に認定されている。
JR倉敷駅から程近い倉敷美観地区には、幅約10メートルの倉敷川が流れ、その両岸には、江戸の面影を残す趣のある日本家屋と、近代的なしゃれた洋館が立ち並ぶ。
古代ギリシャ神殿風の外観の大原美術館は、近現代絵画の収蔵で知られる。天使がマリアに懐妊を告げる様子を描いたエル・グレコの宗教画「受胎告知」は必見。この絵の前で立ち止まる鑑賞者たち。文化の違いを超えて人の心を捉えるようだ。
1930年、大原美術館を創設した大原孫三郎は、繊維会社「倉敷紡績」の社長を務めた。倉紡記念館では、世界的企業に成長した歴史が紹介されている。展示物が物語るのは、日本の繊細な物づくり文化と西洋の最新技術の見事な融合だ。
瀬戸内海に面した倉敷市の児島地区も干拓で綿の栽培が盛んに。綿の足袋作りで身を起こし、塩田開発で成功した野崎武左衛門の広大な旧邸宅は、人気の観光スポットだ。
彼のチャレンジ精神は児島の人々に受け継がれ、学生服の生産量で日本一になり、国産ジーンズ第1号のブランド「CANTON(キャントン)」を60年代に世に送り出した。今日では、通りはジーンズの看板で彩られ、散歩をすれば、ジーンズをさっそうとはきこなす日本人のお年寄りに出会える。和と洋を絶妙に調和させるのが、倉敷流なのかもしれない。